伝説のツーリング 十津川・熊野ツーリング(2014年9月16日)
参加者:お兄さん(CBR1000RR)、Kさん(FZ-1フェーザーGT)、自分(CBR600F4i)
・そして伝説へ・・・ (宇治田原〜自宅) 時刻は10時半。 合流を果たそうと、宇治川ライン手前で待っている自分の携帯に着信メールが入る。 ここでようやく電波が入るようになっていたのだ。
メールは軍曹さんから。
お兄さんが峠でこけていたとのこと・・・
そして夜間の犬打峠は危険だと、R163に戻り、木津町からR24で帰ることにしたとのこと。
しかし、ここからでは市内での合流しか叶わず、合流したところで、自分は自宅を通り過ぎ、さらに先へ行かなければならなくなる・・・。 それから約30分後、自分のツーリングは一先ず終わるのであった。
走行距離 約430km
転倒して引き返して、遠回りして帰ってきたから”午前様”。
軍曹さんから状況を聞くと
Uターンの失敗のような転け方に加えてN芋とは、なんともお兄さんらしいと思えてしまった訳なのだが、ギアチェンジを失敗していなかったとしても、すでに失速状態にあり挙動が不安定になっていたことは想像に容易かった。
一速へ落としたつもりがニュートラルに入ってしまったというミスは誰もが経験すること。
しかし普通であれば空走状態で再びギアを入れなおす余裕があるというものだが、彼はニュートラルに入った直後には転倒していた。
そんな状態でクラッチを切ればトラクションは抜け挙動は一気に不安定になる。しかし最終手段としてそれを選ばざる理由があったのだ。
夜間の峠でよくある”直前までヘアピンカーブであることに気づかなかった”こと。これも大きな要因だったのだろう。
しかしお兄さんはヘアピンと気づかずに進入、夜間の狭い道ということで進入速度そのものに問題はなかったのだが、いつまでたっても曲がり込むカーブにアクセルを”当てる”ことが技術的に不可能で、速度も回転も大幅に落ちていき、上り勾配も加わって、気が付けば1000ccのトルクを持ってさえしてもリカバーできないくらいまで失速していたのだろう。
ただ・・・、救いだったのは・・・・
乗っているバイクがフェーザーGTであるため、アップライトなポジションとハンドルの切れ角、国内仕様の穏やかなエンブレ、そしてお兄さんがゆっくりで道先を照らしてくれたこと、フェーザーのヘッドライトがH4バルブ2灯式であったことなどが幸いして、高めのギアでも低速でなんとか曲がり切ることができたのだとは思う・・・。(ちなにフェーザーは低速トルクが薄いと自分は感じたので、それは加味していない。)
が、もしお兄さんと前後が入れ替わっていた場合、転倒したのは彼のほうだったかもしれないのだ。
こうしてお兄さんは闇の中に散ったのだ。 ・・・・・・・・・、そんなことを考えてしまうと「免許取立ての初心者じゃあるまいし」という気持ちが自分の中でぶつかり合って精神的に疲れてしまった。
ただ結果としてはお兄さんにとっても、自分にとっても最悪な終わり方になったのは事実。 そう、被害者意識・・・。 それに対して謝罪することにした。 「ほったらかしにしてごめんなさいと・・・。」
翌日バイク屋さん行くと、やはりお兄さんは不機嫌であった。
何が転倒に繋がったか状況を聞くつもりでも「疲れていたからコケた」と言われ、「それじゃ針であと1時間くらい長く休憩していればよかったですか」と聞いても、「それでもコケた」と彼は言い切るのだ。
とは言え、今回のツーリングが彼にとって厳しいツーリングであったかというとそうではない。
・2011年6月 【原付で久美浜ツーリング】(約400キロ)
なぜかデカンショ街道も組み込まれてしまい、途中でグランドアクシスが焼き付くんじゃないかと予備シリンダー&工具持参。 ・2010年 【2号線で(TVで見た)倉敷美観地区までツーリング】(約470キロ) 「遠すぎる&2号線は疲れる」と反対し、デカンショ街道→七曲がり→ブルーラインまでの【地獄の岡山ツーリング】へと変更(約450キロ)
・2008年 【郡上八幡ツーリング】(約450キロ)
・2006年 【讃岐うどんを食べに行くツーリング】(約430キロ)
・2005年 【9号線で鳥取砂丘まで行くツーリング】(約500キロ)
あらめて振り返っても苦笑いしてしまう内容。正直バスツアーや電車などを利用するほうが安くて早くて楽だったりするものばかりだ(汗)
こんなことを繰り返し、今日に至るおにいさんとのツーリング、今回だけが過酷だったとは都合良く言わせてはいけないのである。 その事実を告げたところで都合良く「もう若くないから」と言い放つお兄さん42歳・・・。 次の野望は
まぢで・・・?!?
<< ・走れメ●●! back top |