伝説のツーリング  十津川・熊野ツーリング(2014年9月16日)

参加者:お兄さん(CBR1000RR)、Kさん(FZ-1フェーザーGT)、自分(CBR600F4i) 


おっさん子供の兄と軍曹(瀞峡〜おくとろ)

景勝地に降り立ったというのに、開口一番が「もうレガシ〜が〜」「レガシ〜が〜!」とブーたれる子供のような中年が現れる。
無論自分のことである。

酷道の走り方というのはライダーにとってある意味美学でなのである。
速すぎないペース、遅すぎないペース、センターラインのない道の中央をセンターラインと仮定し、そこを越えてしまうことは、すなわち死と考える。
ブラインドカーブの立ち上がりは必ずキープレフトのラインを取り、そのための進入マージン、進入時に決めた1本のラインをいかにスムーズに駆け抜けるか。
むしろ見通しのよい右カーブですら、進入から立ち上がりまでカーブのRに沿ったキープレフトを狙う。
トロいだけのペースでも、激しい加減速が伴っても、それは美しくはない。
落ち葉や小石の間に見えるアスファルト路面をいかようにトレースしていくか、危なげなく、エレガントに、ジェントルに、それはワルツでも踊っているかのごとく。
そして背中で語るのである「何に臆するというのだ」と。(※本気にしてはいけない。)

この美学をレガシーは台無しにしてしまったのである・・・。
そしてその心中を同行者は察してくれないし、そもそも酷道の美学というものに共感すらしてもらえないやりきれなさ・・・。
ブーたれが止まらない。

ひとしきりブーたれ、機嫌を直したところで、ここが瀞峡という景勝地であることを改めて説明する。


この先に何があるのかあまり興味のない二人は、廃墟の多さや、1日に数本しかないバスの本数など、寂れ具合にばかり目をやり、「こんなところ、誰も来ないんじゃないの?」と苦笑いしながら言う・・・。

この寂れ具合も瀞峡の美に一役かっていると自分は思っているのだが、【話題になっている場所】→【TVで放送される】=【聖地】=【すでに人ごみの場所】、そんな場所を求めてしまうお兄さん達にとって【廃墟】、【廃屋】、【廃村】、【廃線】=【秘境】という、むしろライダーが好むスポットというのは対極的な場所になっているのではないか、そんなことを感じとってしまった・・・。

そこまであからさまなミーハーであるなら、ライダーでなくバイカーに、ロードスポーツでなくクルーザーかスクーターにでも乗っていたほうが幸せだったろうに・・・。
それ以前にバイクである理由を探せない。


まぁせっかくだからと川へ降りる階段へ向かう。
「帰りがしんどいのをわかってるのに、いつも降りてから後悔するんですよね〜」
帰りの登りをハァハァ息を切らしながら上がっていく不甲斐なさを少しでもごまかすため、あらかじめ「この階段はヘタレな自分には辛い」と遠まわしに伝えたつもりだったのだが・・・

「えぇ降りるの!?」と二人。
この返事までは予想できなかった・・・
いや、何度も来ている自分ならまだしも、初めて来たあなた達がなぜにそのような発言をするのだ・・・。


そんな二人をなだめつつ、「この廃墟がまたいい雰囲気だしてるんですよ〜」と、降り口正面に見える瀞ホテルを指差しながら階段を降りていった。

そのときである。
廃墟であるはずの瀞ホテルの窓が開き、人の顔が現れたのだ。
二人にとっては「たまたま人がいただけ」というように映ったかもしれない。
しかし自分はここが営業しているかもわからない寂れた旅館から、えも云えぬ雰囲気をまとった廃墟になっていくまでの過程を見てきているだけに、人の形をした人でない何かを見てしまったかと本気で焦ってしまったのだ・・・。

本気で驚いている自分と、人かどうかも疑われる顔と目が合ってしまい、軽く会釈される。
そしてその人かどうかも疑われる顔は2本の腕を伸ばし・・・

タオルを干しだした・・・。


それを見て本物の人であると安心する前に、恥ずかしさや申し訳なさで早くこの場から去りたい気分になっていた・・・。
もしかしてここは民家になったのだろうか・・・?(調べたら現在カフェとして営業しているそうな)

この瀞ホテルには小川を隔てた対岸に岩に張り付くように建てられた別館があり、そちらへ回る。
人の家の周りをウロウロとして申し訳ないような気分がどうしても付きまとってしまうのだが、自分が進んで「あっち」「こっち」と案内しなければ、自らの好奇心で散策するという行為はこの二人には存在しないので仕方がない・・・。(くどいがが今はカフェ)


別館と本館は吊り橋が繋ぐといった粋な作りになっているのであるが、その吊り橋は崩壊、建物自体も自然に帰ろうとしている。
ここはもう朽ち果てるのを待つしかないのであろうか。


しかしこの景観に対してこの建物のマッチングはすごい。
それはこのキツい階段を一番下まで下り、河原から見上げれば尚さら深く関心するのであるが、登りのキツさを知っている自分は、下まで降りる気力が沸かないのであった・・・。
まぁ今から向かうところから眺めて貰えればいいのだと。

瀞峡の奥には吊り橋がある。
「そこから見る瀞峡は格別なんです」とそちらへ向かおうとするも、お兄さんが嫌がる・・・。
しまいには「(怖がるのを)楽しんでないか?」と言う始末であるが、これは瀞峡に立ち寄ると決めた計画の段階ですでに盛り込まれていた内容だったのだが・・・。
最初で最後だからといい場所を案内するつもりが、嫌がらせに思われてしまうのであれば、泣きたいのはこっちなのである・・・。



しばらく歩いて吊り橋まで到着する。
が、二人ともつり橋に入ってこようとしない・・・

「大丈夫ですって」「揺れませんし」このような発言を繰り返し、しぶしぶ橋に入ってきたかと思うと

「板が腐ってる!」 (←ごく一部。足元を選べばいいだけ。)
「板が割れたら落ちる!」 (←谷瀬の吊り橋だって、ここだって金網があるの見えるでしょうに・・・。) 「ワイヤーがさびてる!」 (←表面だけのサビをどうこういうなら、おたくで売っているバイク達はどうだというのだ・・・。) 「ここはあぶないって!」 何かにつけて文句を言うお兄さん達・・・ なんだこのめんどくささは・・・。 橋の中央に来て瀞峡が綺麗に見渡せるようになれば少しは思いも変わるかと思えば・・・

「言われた通り渡ったよ!」 って

・・・・・・

その「文句あるか」みたいなニュアンスの発言がなぜに出てくるのだ・・・・・・
川の真ん中の上空から瀞峡が見渡せるという贅沢な隠れスポットであるというのに・・・


景色などまったく興味がなく、子供の度胸試しに成り下がっているおっさん二人・・・。

もう心底ガッカリである。

「落ちてもこの高さなら助かりそうでしょ〜」と気持ちを和らげようとするも、この発言がヤブヘビだったようで、もう「流れが早い」だの「服じゃ泳ぎにくい」だの本気で落ちたときのことを想定したかのようなトークを続ける二人・・・。

「うちらお腹に浮き輪を装備してるからね。」
なんて笑いに変えてみようとするも、さらに自分を説得するかのように真剣になってあ〜だこ〜だ言ってくるのには勘弁願いたかった・・・。

もう、いっそ思いっきり揺らしてやろうか・・・・。


瀞峡散策の帰り道、階段手前までは足取りも軽く、その階段も上がるのは瀞ホテル前からという短い距離といこともあって、「ひょっとして自分、今日はスラスラ登れてしまえるんじゃないか?」などと勘違いをしていたのだが、やはり毎度のように息も絶え絶え、登りきった直後ベンチにヘタリ込み、しばらくグロッキー。汗が止まらない。
同じく道路脇にヘタリ込むお兄さん、すごく不機嫌な顔をしており声をかけることができない・・・。

こうして瀞峡観光は「すごい」とか「綺麗」とかの一言もなく、お兄さんの不機嫌をもって終えるのであった。

再びR169を北上。
瀞峡から間もなく道の駅おくとろへ到着するが、一先ずそこは通り過ぎて、その先にあるバイクで渡れる吊り橋へと向かった。
これまでとは違う頑丈な吊り橋に二人からの抵抗はなかった。






が、 「たいして揺れないから怖くもないし。」(どや)
などと発言する二人。

えっ・・・。
って、いや、これ、度胸試しだとかそういうのではなく、というか、これまでの吊り橋も全部そうだったのだが、吊り橋独特の空中散歩みたいな雰囲気を味わって欲しいと、そういうことであって、渡ってやったぜ”どや”ではなく、バイクで吊り橋を渡る機会がそうそうあるかって話なのであるが・・・


けっきょく最後まで二人にとっての吊り橋とは度胸試しでしかなかったようだ・・・。
ふぅ・・・。


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